2009/06/19(金)
「冗談」について ~'The Joke's talk
雑感 |
タイトルどおり、『ムーンストーン』の「冗談」についての散文。
信じ難く、想像もしていなかったほどの悪いことが突然身に降りかかってきたとき、人はまずこう考える。
それは「冗談」だと。
薄明かるい空 タクシーを拾う246で
主人公はとにかく、タクシーというシェルターの中に逃げ込んだ。そして今この事態を冷静に見つめ直そうとするのだが、その前に、このシェルター自体も傷だらけであることに気づく。
酔った客がつけたドライバーの顔のアザ
濡れたガラス拭って まがったビルを見る
空に寂しい街のエンジンが燃えてる
しかし程なく、彼は自身の内の瞑想に耽る。ホールトーンスケールの音色と共に、主人公は自分の中の「冗談」とようやく対峙し始める。
新しく出会ったあなたを想って
帰る家のない街の中眠そうに走り出した夜明け
「あなた」は未知の人物ではない。既知の「あなた」から、まるでジャメ・ヴュのように、突然、想像もしていなかったものを突きつけられた。すなわち<現実>。主人公はいたたまれなくなり、逃げ出した。
最新ニュースが無力な僕に突きつける
無数の問いかけから逃げていられない生活
ぼくを覆い尽くした悪い冗談や孤独と争う毎日
自らの無力感、敗北感を痛感させられるが、逃げてばかりもいられない。現実に立ち向かわなければならない。その葛藤。
変わる時代きしむ街になお強く あなたを追いかけている
むざむざと負けてばかりではない。この逆境に立ち向かい、ファイティングポーズをとるだけの意思は残っている。
月に偉大な一歩標して笑っていた アポロの時代に描いた古い未来の終わり
泣いてばかりの世界 神が試す街 犠牲あふれかえり さしのべられた手と手
改めて思う。この新しい「時代」に、人間はなんと儚く脆い存在であるか。無力なのは自分ひとりではないのだ。それはわかっている。しかしそう思ったところで、気休めでしかない。今この自分自身の無力さに突きつけられている現実への解決にはならない。この現実は、「冗談」としか思えないほど過酷なものなのだ。
ぼくを覆い尽くした悪い冗談や孤独と争う毎日
変わる時代きしむ街になお強く あなたを追いかける
過酷な現実に立ち向かう意思の再確認。
いつまでも静まらない風を胸に まだ旅を続けている
この人生の旅は、こんな逆風の中でも続けなければならないのか?
前曲「哀しいノイズ」の一節、「旅して定めにひとは従うの」。たとえ能動的に旅をしても、結局人は「定め」に従わざるを得ないのか? やり場のない怒りで「靴をあらうさざ波」を「蹴り上げ」てみたものの、答えは見つからなかった。
もういちど 善や悪や愛や妬みのぼくにチャンスをください
聖も俗も綺麗なものも汚いものも、すべてを抱えているこんな取るに足らない存在の自分。逆風に立ち向かう意思はある。だけれども、このままでは、もうやり直しも効かないくらいに、根元からポッキリと折れてはしまわないのか?
もはや自分にはどうすればいいのかわからない。
それでも前進をしなければならないというのならば、せめて後押しをしてくれないか。本当にささやかで構わないのです、なにか「チャンス」を!
「闇に闇を追い払うことはできない
それができるのは光のみ」
天啓!「おまえが闇ではいけないのだ。お前が光となれ。お前自らが光を発しなければならないのだ。その光こそが、先の見えぬ旅の行く手を微かに照らす道標になるであろう」
こころに火を灯し ドライバーに金を払い
タクシーを降りて 冗談渦巻く街に紛れ込む
天啓をくれたこのシェルターにいくばくかの謝礼を出し、主人公は心に光を宿し、この悪い現実へと立ち向かって行くのだった。
***
最後はドラムでビシっと締められる曲だが、ここは混沌の中へフェードアウトする方がいいのに、と思ったりもする。
[マイレヴュー
2年前はこんな風に考えていたが、今は違う。あの渾沌の音が永遠に続いてしまっていたら、自分の気が触れてしまったかもしれない。バシッという音がするこの曲のエンディングは、気づかぬ間に自分と繋がってしまった渾沌の世界への紐を、断ち切る音だったのかもしれない。
そして次曲「ムーンストーン」の牧歌的な空気、「たまにはおまじないもいいさ」という気楽さに、どれほど救われたことか。