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バベルの塔または火星での生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード

IDを変え、引越しました。 現在は https://originallove.g.hatena.ne.jp/keyillusion/ です。

2006/08/03 (木)

[] その3『L その3『L』 - バベルの塔または火星での生活 のブックマークコメント

全アルバムを改めて聴きなおす「マイレヴュー」シリーズの3回目。2番目に大好きなアルバム『L』です。これまでの2回が、愛情の裏返しのような表現をしなければならなかったので、ようやくポジティヴな評価をできます…か?

おことわり

オリジナル・ラヴ マイランキングの各アルバム版です。アルバム全体印象は、そちらを参照してください。

実際に曲を聴きながら、思い出すことを思うままに書いています。そして、「今、この時点で、自分にどう聴こえるか」ということを主眼にして書いています。昔話が多いのは、曲にまつわっているイメージをそのまま書いているからであって、各曲の解説のつもりなのではありません。したがって、いちいち裏を取る作業は省略していますので、信憑性を少しは疑ってください。

L

L

1. Wedding of The Housefly

1分半足らずのインストゥルメンタル曲。「アルバム1曲目は重厚な曲」というオリジナル・ラヴの定石を、8作目にしてはじめて覆した。

アルバムのファンファーレ的な存在になっている。Aphex TwinRichard D James Album』('96)1曲目「4」とアルバム上の位置づけやサウンドが似ていて、影響を受けていると思われる。

タイトルの家蝿がなにを指すものかはわからないが、軽い電子音からの連想なのだろう。

2. 水の音楽

意表を突いた軽い1曲目が終わると、これまでのどんな曲よりも大きいスケールの曲が現れる。個人的には、田島貴男の最高傑作と思っている1曲。

まず特筆したいのが、曲のテーマである「水」の音楽的描写の細緻さ。チョロチョロと湧き出す様子から怒涛のように流れ出す様子まで、水のあらゆる様態が次々と現れる。それを表現するのに、流れるような音色を持ったドラムンベースを使ったのは、きっと偶然ではない。「水の音楽」とは、まさにドラムンベースのことでもあるのだろう。しかし、ドラムンベースの曲でありながら、この曲ほど「ドラムンベース」であることを感じさせない曲を他に知らない。前作『ELEVEN GRAFFITI』で実験的に使いはじめた「機材」は、音楽表現として見事に昇華したのだ。

それに乗せられて歌われる詞。諦念と絶望。砂漠の中を水を求めて独りさ迷い歩き、結局は水の音に導かれていくままに流されていく。『風の歌を聴け』のころに発散させていたスーパーマンぶりから考えると、なんとも弱弱しい。独りユニットになっても、『DESIRE』や『ELEVEN GRAFFITI』でも、オレは寂しくなんかないぜとばかりに虚勢を張っていたような田島貴男からふと漏れた、弱音のような歌詞だ。しかし、それはどちらかというと「本音」であり、田島の「人間」が現れているところではないか。そしてこの「弱さ」を正面から歌ったことが、音楽人田島貴男にとっては画期的なこと。そしてそれこそが、この曲の最も感動的なところだ。

人間は強さだけの存在ではない。脆く儚く、時や涙のように流されていくしかない存在でしかない。でも、明日も今朝のように遥か彼方に響いている音に耳を済ませてしまう。それはもう理屈ではない。そうするしかないのが、人間なのだ。自分の力だけではどうしようもないものへのアプローチ。まるで「祈り」のようでもある。

これらのサウンドと歌詞が、「水」を共通のモチーフとして絡み合い溶け合っているのが、この「水の音楽」という曲だ。これは音楽による「美」の骨頂である。

「鍵、イリュージョン」もそうなのだが、弱さを歌うことで田島は「人間」を表現することがある。この「人間」は非常に生々しく、そして切ない。なにがしかの「人間の真実」を描写するのが芸術ならば、これらの曲はまぎれもなく芸術作品である。

しかし、ただ弱音を漏らしているだけの曲ではない。地平線の向こうのエコー。絶望の先に感じられる希望を匂わせている。これが、アルバム全体のテーマでもあることは、後の「神々のチェス」でわかる。

つい先日の「13号室からの眺め」ライヴでは、奇しくもこの曲が演奏されて、大きなサプライズを起した。しかし、当時「L」ツアーのライヴでも、もうしわけないがレコードの演奏が持つ神々しさはほとんど再現できていなかった。その翌年、「FIRE WALKING」の佐野ドラムのときはかなりイイ線をいっていたけれど、それでもレコードには及ばなかった。レコードの中にだけ刻み込まれている芸術。それをいつでも何度でも聴ける幸運を噛み締めるべきなのかも。

3. ドラキュラ

水の音楽」が終わると、『L』は半分終わったような気分になる(笑)。けれどもあとが「残り10曲」というだけなら、2番目に好きなアルバムになるわけがない。「水の音楽」のスケールが大きすぎるだけで、あとはあとでそれなりの味わいがあるし…と書いているうちに曲が終わってしまいそうなので、「ドラキュラ」に戻ろう。

QUEENやBOSTONのアルバムには「No Synthesizers」というクレジットがあるけども、その反対をいった打ち込みだけの曲。もしも、東芝時代のころにタイムスリップして、「×年後の田島は生楽器使わないで一人で打ち込みやってるんだぜ」と言っても誰にも相手されない、そんな曲だ(それはそれで「やっぱりね」と信じる人もいるだろうが <たぶん自分)。

この曲も、前作『ELEVEN...』の「機材」の未消化をキッチリと消化している曲。生楽器を使わずにこのグルーヴを出すとは、田島の才能の真骨頂を見る思いだ。そして、スッカラカンのサウンドは、まさに『L』を象徴する音。次の『XL』でもライヴヴァージョンを聴くことができて、それはそれで好きだが、この元曲の軽さも実に捨てがたい。

4. 宝島

宝島

宝島

アルバムの半年前にシングルとしてリリースされた曲。次のアルバム『ビッグクランチ』で大活躍することになるL?K?Oの初参加作で、ブレイクビーツに正面から挑んだ曲。

シングルとして出されたときには、そのジュブナイル的な歌詞に付いていけなくて、アルバムに入ってからも長いこと理解できない曲だった。時間が経った今では、だいぶ抵抗感は薄れて、チープなブレイクビーツを楽しむ余裕もできた。そう、なんかチープ。ピチカート時代の「これは恋ではない」のヒップホップを聴いている感じ。

トヨタ・イプサムのタイアップあり。CFも3回くらいリニューアルされて、半年近くは使われていた。CMタイアップとしては最長だろう。

シュールなプロモーション・ヴィデオは、東京の番外地、豊洲で撮影されたもの。第2回フジロック会場の近く。

5. ハニーフラッシュ

当時大流行(というより社会問題)だった援助交際を歌ったもの。「ドラキュラ」と同じくピコピコだけの曲だが、こちらではグルーヴ感は排除されていて、ひたすら軽薄な音になっている。援交の軽薄さ加減をサウンド的に表現したのだろう。

が、さすがにオリジナル・ラヴ的にもかなりの問題作。前の曲とこの曲とで、田島から完全に離れてしまった人も少なくないはず。実はこの曲は、前年ツアーの最後に渋谷クアトロで1日だけ行われたライヴで披露された「MASKED」のアレンジがベースとなっている。それで自分は、心の準備ができていたから、それほど大きなショックは受けずに済んだ。

なぜ、援助交際がポップスの題材となったかといえば、田島はデビュー前から「リアリティ」を重視していたから、という答えになるのだろう。レッドカーテンのころは、もっぱら英語でしか歌わず、格好付けの音楽しかやっていなかったのだが、オリジナル・ラヴに改名したころから、きちんとした日本語の歌詞を歌い始めた。そしてその目的は、「リアリティ」なのだ、というインタヴューをかつて読んだことがある。この曲でも、別に徒に社会的な問題提起をしたかったのではなくて、「現在」を歌にした結果がこれなのだろう。

こうした田島の、ポップスと現実社会とのリンクを重視する姿勢は、ずっと一貫している。たとえば、3rdアルバムの『EYES』というタイトルは、「社会を見る"眼"」の意味があったのだという。

歌詞に「PHS」という言葉を使ったことも、田島としては画期的だった。なぜなら、『RAINBOW RACE』のころは「歌詞に"ポケベル"を使うような普遍性のないポップスは書きたくない」というような意味のことを言っていたからだ。しかし、これは宗旨替えなのではなくて、上記の「リアリティ」にこだわった結果なのだと思う。こんな風にこの『L』というアルバムは、前作にも増して歌詞へのこだわりが随所に見られる。そのピークは次の『ビッグクランチ』にあると思のだうが、その話はそのときのレヴューで。

6. Crazy Love

Crazy Love

Crazy Love

先行シングル。最初に演奏されたのが、'98年8月のフジテレビ「FACTORY」の番組収録において。そのときに小西康陽と数年ぶりの邂逅をして交流が再開、2年後に曲提供を受けたり(「殺し」)、ピチカートにゲスト参加したりすることになる。また、その演奏はL?K?Oの初舞台でもあった。

田島自ら「1年に1曲しか書けない曲」と言ったほどの美メロのバラード。一人仕事の代名詞(笑)サウンド・オブ・ウォールもお見事。

だけれども、個人的には、前作の「アイリス」や次アルバムの「ショウマン」の間に挟まれて、いまいちパッとしない感じのする曲だ。たぶん、短調なのが、曲の寂しさを倍増させているからかな。あるいは、田島のバラードの持つ伸び伸びとした感じが、機械音で萎縮させられてしまっているようだから? 「バラード歌手」というレッテルに悩んでいたころだったし。

7. 大車輪

インダストリアルなミュージックコンクレートのようなサンプリング(ハハハ、カタカナばっか)。はじめて聴いたときはうわぁ…と軽く引いた。一人仕事の悪い部分が出たようだったから。

けれども、こんなに田島らしい曲もない。まるでメジャーデビュー前に戻ったかのような、変態チックな曲。またタイムスリップ話で申し訳ないが、1980年代に戻って当時のファンにこの曲を聞かせても、あまり違和感を感じないのではないか。8枚もアルバム出しておきながら、まだこういう曲も書く度胸はすごい。レコードだと音が軽すぎてあまり好きになれないのだが、ライヴで聴くのは大好きだ。心なしか、田島もこの曲を演奏するのは楽しそうに見えた。

「歴史にうずもれた無数の火の粉を思う」という歌詞が、結構好き。

8. 呆気ない幕切れ

オリジナル・ラヴで最短。

9. 羽毛とピストル

このアルバムでもっともソウル色の強い曲だが、なんとかというエフェクター(名前忘れた)を使っていて、ソウルミュージックの肉体臭を見事に消し去っている。その徹底ぶりはお見事というほかない。

さらにそのエフェクトのおかげで、切なくて狂おしい極上のラヴソングの空気が増幅されていて、こちらの曲の方が「Crazy Love」という感じがする。バラード対決として、個人的にはこちらに軍配を挙げる。

10. インソムニア

鬼束ちひろや同題映画の方が有名だが、それらよりも早い。この曲も、徹底的にグルーヴが排除されて硬直したサウンドになっている。はじめて聴いたときは、あちゃぁ…と、もう相当に引いた。田島もとうとうここまで堕ちてしまったか、と。orz

けれどもその後、ニューウェイヴ期に青春を過ごした人がこの曲を非常に高く評価していて、そういうものなのかと納得した。今でも好きな曲ではないが、理解はできる。

歌詞は、実はすべてカタカナ。人間の感情がそもそも篭っていないらしい。これも『L』における歌詞のこだわりの一例。

11. 神々のチェス

宝島」以後、なんか貶しの方が多くなってしまった。しかし、この『L』をアルバムとして大好きなのは、ここからの盛り返しがあるからだ。

この曲は、「水の音楽」と対になった曲だと思う。「すべてなにもうらやむこともはかなむこともない」。これが「水の音楽」への回答であり、そういう「諦念」がこのアルバムのテーマでもあるのだと思う。なにをしようとも、われわれの人生なんて神々の遊ぶチェスの駒にすぎない。運命の気まぐれの前には、一個人の想いなど塵芥に等しい。そんな風にすべてを諦めきった気持ち。ただし、それはまるで修行僧のように澄み切った心境。だから最後に「旅は続くよ」と、まがりなりにも前向きな言葉で締めくくることができたのではないか。

「チェス」のたとえは「ペテン師のうた」からの自己引用であると思われる。あちらでは、現状を軽く笑い飛ばそうとしていたカラ元気もまだあったのだが、この曲では対称的に沈重してしまっている。

そしてクレジットを見ると、意外にも生楽器を使っていない。「機材」の利用、ここに極まれり。

2004年「沈黙の薔薇」ライヴで、この曲を久々に演奏していた。ベースとサックスと3人だけでのシンプルな演奏は、この曲の透明感を出していて最高だった。

12. 白い嵐

前曲の余韻をぶちっと切って割り込んでくる、アコースティックギターをフィーチャーしたフィナーレ。

この曲にはとても広大な空虚感がある。それこそ宇宙のような。宇宙空間は「真空」とはいっても、実際にはわずかばかりの分子が漂っている。そういう塵も集まれば、星にもなるし、われわれのような人間にもなる。そんな満溢した空虚感。

だから、『XL』でやっていたような、ホワイトノイズの中に漂うようなアレンジは、もろにハマっていたように思った。「TRIAL SESSION」のときも、さらにノイジーなアレンジになっていて、あれがこの曲のベストパフォーマンスかな。


聴き返してみて

発表された時期は、不景気真っ只中の1998年。ピチカート・ファイヴもまさに「不景気」という曲を書いていたころ。先が見えないというか、今まで明るすぎる部屋の中にいたのが、突然ブレーカーが落ちて真っ暗になって目が効かなくなったような時代。その時代の空気を、このアルバムはきっちりと封じ込めている。

このアルバムのテーマは、「空虚」と「諦念」だと思う。ジャケットのグラマラスな肉体を持った女性の中身も空っぽである。そう、これはあまり救いのない暗いアルバムなのだ。田島が敬愛するカーティス・メイフィールドの中でも、田島が一番好きだというアルバム"There's No Place Like America Today"(asin:B0000089AX)を、自ら作ってしまったといえるのかもしれない。

このアルバム内では「希望」は留保されている。それは、音や言葉の端々から微かに漏れているにすぎない。しかし、その光を感じながら、暗闇の中で英気を養うことができる。それがこのアルバムの素晴らしいところで、疲れ切っているときに聴くと、生きる力が水のように湧いてくるアルバムだ。1曲1曲ごとには辛辣なことも言いたくなる(もう言っているか)のだが、その軽薄さや安っぽさがあるからこそ、影と光のコントラストが引き立つ。アルバムとしての完成度は尋常ではない。「ひとり」になったことのマイナスを、いっぺんに覆してしまった傑作アルバムだ。

そしてこのアルバムは、「反=ORIGINAL LOVE」である。肉体的なグルーヴ、生楽器の音を大切にしてきた(主に東芝時代の)ORIGINAL LOVEを、自ら真っ向から否定するかのようなサウンドである。

個人的にも、このアルバムを聴いてようやく、東芝時代のORIGINAL LOVEに区切りが付けることができた。そして田島貴男がソロ名義にしなかったことを、このとき感謝した。今でも大好きなバンド時代のORIGINAL LOVEと、手探りで自らの人生=音楽を切り開いていく田島貴男個人のオリジナル・ラヴ。両者を「オリジナル・ラヴ」という名の下に、いっぺんに享受できる僥倖を手にすることができたのだから。

hiroharuhiroharu2006/08/04 06:24トラバありがとうございます。今回も渾身のレビューですね。「水の音楽田島最高作説」には激しく同意です。個人的には、このラインを超えることをいつも田島に求めていますもの。
各曲に対する聴きこみの深さが凄いですね。確かに田島の作品は大いに研究するに値すると思います。田島研究道を究めるたゆまぬ努力を私もしていこうと決心した次第ですよ。
話はそれますが、最近の田島のライブのセットリスと見てたら「水の音楽」「スキャンダル」「GLASS」と、私の好きな楽曲が目白押しですね。もしかして田島はファンのブログを読んでニーズ調査しているのでは?!と勘繰っております。(笑)
勝手ながら、リンク貼らせてください。また訪問させていただきます。

originalovebeeroriginalovebeer2006/08/04 09:31コメントありがとうございます。「水の音楽」の感想は、これまでなかなかうまく考えがまとまらなかったのですが、hiroharuさんの『炎』のレビューを読んでいてようやくまとめることができました。感謝します。
いつかは、過去のインタヴューなども交えて、より多面的に掘り下げた本格的なものをやってみたいのですが…今は頭の中のイメージを書き記すだけで手一杯です。『L』以後は、ORIGINAL LOVE以外の音楽シーンに無頓着になってしまったので、まとめたにしてもだいぶ偏ったものにもなってしまいそうです。
「スキャンダル」「GLASS」「Xの絵画」「ブラックコーヒー」…「Jumpin'Jack」をやらずに「BODY FRESHER」…本当にリサーチしてるんでしょうか(笑)。
トラバ2回行ってたらすみませんでした。