Hatena::Grouporiginallove
トップ 最新の日記 ユーザー登録 ログイン ヘルプ

バベルの塔または火星での生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード



[INFO]:情報 [LIVE]:ライヴ [RADIO]:ラジオ出演 [TV]:テレビ出演 [MAGAZINE]:雑誌掲載 [WEB]:Web掲載


オリジナル・ラブに特化したブログです。最新情報から個人的な雑感まで。
最近の情報は[INFO]をご覧ください。[INFO]の日付は、1次情報の出た日付としています。
情報の内容に関しては良心に基づき正確を期しますが、一切の保証はいたしかねます。各自での再確認を切にお願いいたします。

2010年1月12日より、ID変更に伴いURLが変わりました。旧ブログは、移行作業が完了次第削除します。permalinkを使っている方にはリンク切れとなってしまいますが、ご了承ください。

2006/11/06(月)

「明日の神話」に思っていること

| 「明日の神話」に思っていること - バベルの塔または火星での生活 を含むブックマーク 「明日の神話」に思っていること - バベルの塔または火星での生活 のブックマークコメント

明日の神話」を聴いていると、いろいろと妄想が浮かんでくる。

ぜんぜんうまくまとめられなかったのだけど、興味のある人にはインスパイアを与えられる内容かもしれないなので、とりあえず書いてみる。今回は、「辛口」ではありません。

以下、田島の楽曲「明日の神話」は、シングルのカギカッコ、岡本太郎の絵画『明日の神話』は、二重カギカッコとします。


「物語」とはなにか?ということ

田島が歌詞に「物語」という言葉を使ったのには、少しドキリとした。なぜなら、田島はかつて「物語」という言葉をネガティヴに使っていたからだ。

『風の歌』以降、山下達郎の後継者、ひいてははっぴいえんどから流れる「日本語ロック」の後継者と目されることを、結構嫌がっていた。一部のファンが、「ポップス史観」を無責任に捏造した上にそこに田島自身を押し込んで、それに作風が沿っていないからと言って批判することに、かなり苛立っていたようだった。「渋谷系」を拒否していたのも、実はそういう流れだったような気がしているのだが、そういう検証はとりあえずここでは措いておく。

さて、そういうときに田島は「"物語"に自分を組み入れるな」というように言っていたように覚えている。つまりは、「自分の可能性を型に嵌めないでくれ」ということでもあるのだが、そこに「物語」という言葉を使うあたりは、やっぱりインテリゲンチャなんだなぁと思っていたものだった。

で。「物語」には実体がない(フィクション)。田島がネガティヴに使っていた「物語」も、頭だけで作った勝手な解釈くらいの意味。しかし、「明日の神話」では、そんな「物語」をも「幻」ではなくしてしまうものがある、と歌う。「互いに思えば」、つまり愛にはその力がある、というのだ。

ここで、「あの人を好きになろう」ということを、「ありはしないものを見ずには入られない力」と歌った「鍵、イリュージョン」を連想するのは穿ちすぎだろうか。


明日の神話」は、なぜラヴソングなのか?ということ

原爆の惨状を描いた『明日の神話』からインスパイアを受けた「明日の神話」は、なぜラヴソングとなったのか。非常におどろおどろしい題材から、ヒットソングを目指した甘美な歌ができるというのは、それだけでは大きな矛盾だ。

そもそも、『明日の神話』とはどういう作品なのか。大きなヒントになるのは、他ならぬ「ほぼ日」のコンテンツ。中沢新一の解説。

http://www.1101.com/taro_money/nakazawa/

これによれば(自分に都合のいいところを取り出すのだけど)、この作品は、「破滅の中からの創造の力を描いた作品」であるということだ。

この「力」こそが、田島の歌いたかったことではないだろうか、というのが今の仮説。田島の歌の力、音楽の力でならば、それが表現できると思うし、「自分はうた歌いですから、これしかできません」と思ってできた結果には、このくらいの力強さがあると思うのだ。その力強さを一番感じられる歌詞が、自分にはこの部分。

ああ いくつもの障害を乗り越えられる

君を愛してる Yeah

論理的には、この歌詞はおかしい。2つの歌詞が繋がらない。うっかりすると、立ちはだかる障害をパワフルに乗り越えていく「君」を愛していると聞こえてしまう。しかしそれでは、コミカルすぎてちっとも詩的ではない。それに、普通にラヴソング的観点から考えると、「障害を乗り越える」のは「君と僕」のはずだ。だがそうなると、「君を愛している」という歌詞が宙ぶらりんになってしまう。だから、強いて字句どおり解釈するなら、「(君となら)いくつもの障害を乗り越えられる(だからそんな)君を愛してる」という感じになるだろう。

しかしそれでは、あまりに字面を追った解釈に過ぎないと思うのだ。ではどう解釈するかといえば、この2つの詞には論理的な関連性などないのだ、とするのが自分の解釈。1つ目の詞「乗り越えられる」で何かを言い続けようとしたところへ、「君を愛してる」という臆面も飾りもない言葉が"突然"現れるあたりが、この部分のキモだと思うのだ。実際、音楽を伴った歌として聴いた場合、この理屈を超えた突然さが、まったく「歌」として響いてこないだろうか。ここの歌い方には、「音韻の悪さ」とか、「日本語の使い方のマズさ」とかいう次元を超える感動があると思う。

そして、その理屈を超えた突然さは、『明日の神話』の「創造の力」を表現しているのではないかと思う。田島は、そういう「力」は「愛」の中にあると思っているのではないか。だから、「明日の神話」はラヴソングになったのではないか、というのが、今のところの解釈。

ORIGINAL LOVEの「LOVE」に重点が寄っていること

さらに妄想は膨らむ。

田島は、「ORIGINAL LOVE」という名前にもはや宿命を感じているのではないか?

はじめは、ラヴソングが歌えないから、という理由で「レッドカーテン」という名前から改名した。そんな軽い気持ちだったのに、デビュー前後には、ポップスの「オリジナル」となっている音楽をリスペクトするかのような音楽性になった。その状況もまた変わる。一人になり、「オリジナル」の音楽を目指し、「オリジナル」であることを大事にしていた時期もあった。ずっと「ORIGINAL」が主体だったのに、しかし今は、「LOVE」ということに重点がいってはいないだろうか。「LOVE」はすべての「ORIGINAL」である、と。

明日の神話」は、破壊の中からの創造である。そのエネルギーが「LOVE」にあると、田島は思ってはいないだろうか。

「フィエスタ」「アポトーシス」はレクィエムの音楽であった。次のアルバムには、また「しゃれこうべ」という死を歌った歌が入るという。

生と死とセックス。なんか、そういう根源的(これもまた"ORIGINAL")な部分に、田島は入っていっていないだろうか??

エンディングが呆気ないこと

これはおまけ。前回「エンディングが呆気ない」と書いたのだが、その仮説。

・'60年代ポップスの影響(『キングスロード』の影響)

・オープニングの太郎のピアノのせい。シングルとして適当な4分30秒におさめたかった。

後者なら、アルバムver.はもう少し長いエンディングになる、かも?

明日の神話」は水準作である、と書いたこと

こうまで長々と書いているけど、作品自体の評価にそんなに変わりはない。水準作だからって、駄作ではない。それに、田島の作品は、どの曲でもこのくらい楽しめるってこと。