Hatena::Grouporiginallove
トップ 最新の日記 ユーザー登録 ログイン ヘルプ

バベルの塔または火星での生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード



[INFO]:情報 [LIVE]:ライヴ [RADIO]:ラジオ出演 [TV]:テレビ出演 [MAGAZINE]:雑誌掲載 [WEB]:Web掲載


オリジナル・ラブに特化したブログです。最新情報から個人的な雑感まで。
最近の情報は[INFO]をご覧ください。[INFO]の日付は、1次情報の出た日付としています。
情報の内容に関しては良心に基づき正確を期しますが、一切の保証はいたしかねます。各自での再確認を切にお願いいたします。

2010年1月12日より、ID変更に伴いURLが変わりました。旧ブログは、移行作業が完了次第削除します。permalinkを使っている方にはリンク切れとなってしまいますが、ご了承ください。

2009/04/26(日)

平野啓一郎『日蝕』と『RAINBOW RACE』

| 平野啓一郎『日蝕』と『RAINBOW RACE』 - バベルの塔または火星での生活 を含むブックマーク 平野啓一郎『日蝕』と『RAINBOW RACE』 - バベルの塔または火星での生活 のブックマークコメント

弁解(『RAINBOW RACE』で興味を惹かれた方への)

今回のエントリは、長いです。しかも、いつもに比べてより晦渋な内容に感じられるかもしれません。少なくとも、あまり気楽にスラスラと読める内容ではないとの自覚があります。

お昼休みとか就寝前とかに軽く見ておこうかな、という方は、まるごと無視していただいても差し支えありません。ポッカリと時間の空いたときの、暇つぶしのために読んでくださるほうが、むしろ好ましい読み方であると思います。*1

  RAINBOW RACE RAINBOW RACE


平野啓一郎の『日蝕』という小説を、kubotarenさんのブログより知った。


重ねて弁解(『日蝕』で興味を惹かれた方への)

文芸作品をほとんど読んだ経験のない*2自分にとって、この類の小説について何かを書くのは、無謀というよりも冒涜なのかもしれない。しかし、後述するように、この作品にある種の「感動」をしたのも間違いがないことで、いい機会だから、ここに感想(とても「レヴュー」なんて!)を記し残してみたい。

ここでは、オリジナル・ラヴの『RAINBOW RACE』を聴いたことがある読者を対象としている。『日蝕』の読破は前提としていない。この小説の正面からのレヴューを望む方には、ここで引き返すことをお勧めしたい。まぁこんな視点の感想もあるのだなぁ、というサンプルになりさえすれば、それでよし。


さて、いよいよ本題。

このエントリは、先に述べたように、kubotarenさんのこの記事を見つけたことから始まる。

平野氏の『日蝕』で小生の脳天が刺激を受ける時、同時に田島氏の「ブロンコ」が頭を流れる、これに気づいたんだ。きっと小生の脳みその同じところを刺激したんだと感じた。いや、脳みそと云ってしまうとなんだかいい足りていない気がするので、ソウルといった方がいいかもしれないな。受け取る現象が確かに違うけれども、小生が感じていることは同じ。小生のソウルは音楽を聴いているんではなく、また文字をとらえているのではない、それぞれのアーティストから流れ出す自己表出されたものを受け取っているのだと感じたのである。

クラゲの生活:日蝕!

もうこれを読んだだけで、オリジナル・ラヴのファンならゾクゾクしないだろうか? 早速、本を購入してしまった。そして一気呵成…とはいかなかったものの、独特の文体に酔いながら、自分としては割合早く読むことができた。

『日蝕』と「ブロンコ

本を読んでいるときには、残念ながら自分の脳天に「ブロンコ」は流れ出さなかった。しかし逆に、本を読み終えた後で『RAINBOW RACE』を聴いたとき、一気に『日蝕』の世界が甦ってくるのを感じた。

湿気を含んだギターの音に絡んでくる佐野康夫のしなやかなドラムと田島のカウント。この「ブロンコ」の冒頭だけで、この小説の舞台である中世ヨーロッパの土臭さが現前する。それはありていに言えば、歌詞にある「ワルプルギスの夜」のせいなのだと思う。言葉の意味はリンク先にもあるように、「魔の祝祭日」のことである。そのデモーニッシュな雰囲気と、この小説の持つ雰囲気(そもそも、この小説の話の中心は「魔女狩り」である)とが、見事にリンクするのだ。

そして、「黒く塗りつぶされた」何物かが、また絡み合ってくる。「ブロンコ」のそれは、スワンプロックの"黒さ"であり、あるいは「暗闇を探」す「コヨーテの群れ」であり、あるいは「終末のブロンコ」であろう。「どこまでも輝いて鮮やかに生きる」、栄光に包まれたこの曲の主人公の傍らには、そんな様々な「黒さ」が息を潜めている。

かたや『日蝕』の方にも、黒き何物かが、さまざまなモチーフとして現れてくる。両性具有者の「魔女」、鞦韆(ブランコ)に揺られる白痴の少年のぽっかりと開いた黒い口の穴、錬金術師の家の後方に広がる燃え上がるような深い森の異様、謎の洞窟、そして日蝕の黒い太陽…。この小説には、敬虔なキリスト教徒を異界へと誘うようなさまざまな「黒い穴」が、其処彼処に登場する。

ここでkubotarenさんの元の紹介文に遡れば、『日蝕』を読んで「『ブロンコ』が頭を流れる」というのは、実に当然のことで、そこを直感的に読み取っているのはさすがだ。

ただし、ここで挙げたのはあくまで表層的なことに過ぎない。kubotarenさんのエントリ自体では、「自己表出」ということから、さらにもう一歩深く考察をしている。しかしそこに正面から応えることは、悔しいながら今の自分には難しい(平野氏の他の著作を読まねばらならないだろうし、吉本隆明にも触れなければならなさそうなので)。

なお、上記エントリの後、kubotarenさんは『日蝕』を読了し、その感想を残しているので、併せて参照されたい。

http://blog.livedoor.jp/kubotaren/archives/775568.html

http://blog.livedoor.jp/kubotaren/archives/779785.html

『日蝕』と「Your Song

だがしかし。「ブロンコ」以上に自分には特別な体験があったことを記しておきたい。この小説を読んだ後である曲を聴いたときに、霊感にも似た衝撃が身体を貫いた。

それは、「Your Song」を聴いたときであった。それは、少年合唱と田島の声とのハーモニー。少年の歌とは、すなわち天使の歌である。天使とは、澁澤龍彦も言うように両性具有(この小説の重要なモチーフ)の存在である。この曲では、天上からの声である少年合唱と、被造物である肉体性を持った田島の声とが、ハーモニーを奏でているのだ。これこそはまさに、この小説のクライマックスである、両性具有者の焚刑における「霊肉一致」の瞬間の音楽化ではないだろうか。

Your Song」は、日本のポップスには珍しい「神々しさ」を纏った曲だと思う。この小説を読む以前から、「Your Song」からは、なにか「聖」にまつわる雰囲気を感じ取っていた。それは、前作『風の歌を聴け』から連なっている空気で、しかも、それが一段と強められたものである。

この不思議な空気の源泉は、田島の野太い声と、対極的な少年合唱のぶつかり合いが生み出すものなのだろうと予感してはいたが、今回『日蝕』を読んだことで、そこのところがハッキリと体感できるようになった。

ちょうど、田島が『RAINBOW RACE』リリース時のインタヴューで、「神」について述べていたのを発見したので引用してみる。

ギリシャ神話を読んでるわけじゃないけど……いやあ、ここまで言っていいのかなぁ………難しいけど………なんていうか………神様みたいなものを結構考えたっていうはあるよね、今までのアルバムに比べて。とくにそういう宗教的なことじゃないし、何々教にはいっているとかなくて、自分が普通に生きていくうえで、生きている"よりどころ"っていうか、そういうものとしての神って言うかさ。

BARFOUT! Vol.009 June,July 1995

ところで、この小説のテーマは、「世界と自身の合一」なのだろう、と自分は読んだ。極端な話が、作者は、クライマックスの饒舌かつ大仰なシーンを、つまり霊肉一致の瞬間を、自分の筆致で書きたかったの"だけ"なのではないか、と読んだ。

小説の最終部の後日譚で、錬金術を作業する主人公は、「その一刹那(せつな)刹那に、或る奇妙な確信を以って世界の渾(すべ)てと直(じか)に接していると感」じている。そしてそれと同様の感覚を、クライマックスの魔女の焚刑と重ね合わせている。


Your Song」に戻って、蜜蜂が囁いている 君の中にある歌。それは神(天上でもいいし、大自然でもいい)と自分とを結びつける、特別な「歌」である。その歌を思い出すということは、「世界と一つになる」ということだ。

それは、『RAINBOW RACE』にとっては絶対的な「生」の喜びのこと(上記引用部でいえば「生きている"よりどころ"」のこと)であろうし、『日蝕』にとっては「真理=神」との邂逅のことではないのだろうか。

『日蝕』それ自体の感想

まず、独特の文体について。恣(ほしいまま)に引用すると、このような文体である(括弧内はルビ)。

 歩み寄れば、麦の粒程の皓(しろ)い蜘蛛(くも)であった。地に膝(ひざ)を着いて、ゆっくりと顔を寄せると、漸(ようよ)う睛(ひとみ)の裡(うち)にその姿が呑まれていった。

 その繊細で硬質な肢体、その静謐(せいひつ)、その妖氛(ようふん)。――それは、錬稠(れんちゅう)せられた、白昼の眩暈(めまい)であった。

まるで漢検一級のような漢字と煩雑なルビには、一見とっつきにくさを感じるかもしれない。しかし、読み慣れてしまうとスムーズに読むことのできる上手い文章だ。小栗虫太郎のような「悪文」とは、やはり違う。

むしろ、初読の時に問題となるのは、合間合間に挟まれる、主人公の須臾(しゅゆ)の間の哲学的思索だろう。衒学好きな自分のような人種には割合楽しく読めるのだが、そうでなければ単にストーリーの障害物だと思うかもしれず、うっかりするとそれで本を読むのを止めてしまう人もいるかもしれない。が、再読をしてみると、それらがクライマックスのシーンと絶妙に絡められた思索だったことが読み取れるのが面白かった(だから、初読の時はいっそ読み飛ばしてもいいかもしれない)。

しかも骨子となるストーリーは、割合と単純で、明快でかつ面白い。明快なストーリーに挟まれる哲学的な思索。これには、ちょうど先日読みきった『カラマーゾフの兄弟』を思い出させるものがあった。(ここではその構造が類似していると言いたいだけで、『日蝕』の思索はあくまでも衒学的なレヴェルでしかないとは思っている)



それから、この小説のスタイルは、「渋谷系」と通じるものがあるのかもしれない、と思った。これは巻末の四方田犬彦の解説に寄りかかった解釈なのだが。

『日蝕』がわれわれの前に差し出そうとするのは、古今で書かれてきたあらゆる探求の物語に正面から対決するのではなく、それらをいわば肩越しに見つめ、積極的に反復に身を任せることで文学を創出してゆこうとする姿勢である。

四方田犬彦『日蝕』文庫版解説

この文の最後の「文学」を「音楽」に置き換えると、それはまるで「渋谷系」そのものではないだろうか。「元ネタ」を縦横無尽に駆使して、自分たちのための新しい音楽を創造して行ったように。

この物語のモチーフは、過去の様々な創作物の反復であるという。その「元ネタ」となったものは、浅学な自分にはほとんどわからない。読む人が読めばすぐにわかるのだろうし、ネットで散見する限り、この小説の評価が意外と芳しくないのは、そのせいなのかもしれない。

芥川賞を受賞したこの小説は、当時「三島由紀夫の再来」と評されたという。自分は三島由紀夫を読んだことがないのだが、一体どの作品がこの小説のルーツなのだろう? もしブンガクに詳しい方がいたら、ぜひ教えてください。

ふたたび『RAINBOW RACE』との関連について

元々、"『日蝕』と「ブロンコ」"の不思議な出会いから始まったこのエントリではあるが、そのタイトルに、「ブロンコ」単曲ではなく『RAINBOW RACE』というアルバム全体と、著作を並べたのには、それなりの理由がある。

RAINBOW RACE』の随所に現れる、さまざまな神話的なモチーフ。それと共通するものが、この小説には随所に驚くほど出てくるのだ。枚挙に暇はないのだが、単なる牽強付会に陥る恐れもあるので、小説のラストシーンを引くに留めておきたい。

 ――禽(とり)が鳴いている。

 ふと彼方を見遣れば、蒼穹(そら)には燦爛(さんらん)と虹(にじ)が赫(かがや)いていた。

ラストに「Bird」が登場し、「虹」がかかる!

この奇(く)しき縁(えにし)に、私は喫驚(きっきょう)し、膚(はだ)に粟(あわ)の生ずるのを覚えたのだった。

*1:[雑感]カテゴリ自体がそういう存在ですが。

*2:自分の読書歴はといえば、国産本格推理小説ばかりを偏って読んでいた。今回、「ネタバレ」の心配をせずに感想を書けることの、なんと気楽なことか!