2015/07/30(木)
「ビッグサンキュー」の謎(?)
雑感 |
「ビッグサンキュー」の謎とその解釈の変遷
新譜『ラヴァーマン』。発売からの約2か月、ほぼ毎日のように聴いてきました。

- アーティスト: ORIGINAL LOVE
- 出版社/メーカー: SPACE SHOWER MUSIC
- 発売日: 2015/06/10
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (11件) を見る
ネットではさまざまなな感想・解釈が出ていることでしょう。いろいろな方の思いに左右されないうちに、自分の思うままを書き留めておきたかったのですが、しかし、私事のとてつもない忙しさにかまけ、まったく感想を書けないままでした。
そろそろ多忙が一段落ついてきたので、ではそろそろ感想でも書こうか、と馴染みのブログへ行ってびっくり。どうやら「ビッグサンキュー」に関してだけは、先に書いておかなければならない事態となりました。
オリジナル・ラブ『ラヴァーマン』最大の謎「ビッグサンキュー」に挑む(ドラ泣き篇)
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20150729/doranaki
オリジナル・ラブ『ラヴァーマン』の楽曲構成を考える(3)~違和感の正体に迫る!
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20150712/OLL3
盟友(と、あえて言います)rararapocariさんのブログ。ここはまさに「オリ馬鹿たちの知の結集」と呼ぶにふさわしく、田島愛に溢れた方々が集い、侃侃諤諤とさまざまな解釈を繰り広げる場です。しかし、このブログにおいて、「ビッグサンキュー」への解釈が非常に拡散していることに、素直に驚きました。
たしかに「ビッグサンキュー」は、なにも考えずに聴けば、『ラヴァーマン』全体の中では「違和感」を感じる曲かもしれません。しかし、たった一点「あのこと」に気づけば、けっして奇を衒った曲でなければ、ましてや「イロ物」でも「捨て曲」でもないことがわかります。田島はようやくこのタイミングでこの曲を発表することができたのですし、後述するように、その間に流れた時間のことを考えるとむしろ涙さえ誘います。
もちろん、「あのこと」に気づいていないのは、rararapocariさんだけという可能性もあります(^^;)。しかし、あれほど自由に解釈を思いつき、しかもまとめあげる能力を持ったrararapocariさんでさえ気づいていない、ということは、もしかするとまだ「あのこと」に気づいていない方は意外と多いのかもしれません。
「あのこと」に気づいている方にはかなりもったいぶった言い回しになっているでしょう。そう、単なる「あのこと」です。しかしそういう方こそぜひ、改めてrararapocariさんのブログを読んでみてください。
この中でさまざまな解釈を思いつくrararapocariさんには、素直に尊敬の念が湧きますし、なにより強い愛情を感じます。このようなさまざまな解釈ができるということは、翻って言えば、「ビッグサンキュー」という曲がその人の人生を写し出すことができる「普遍的なポップス」であることの証左なのだと思います。この曲の深い可能性を感じさせてくれるのが、rararapocariさんの一連の記事なのです。
「2曲目」に期待していたこと
(「あのこと」に気づいている方は、いい加減まだるっこしいはずなので、このセクションは飛ばして構いません)
さて、自分も「あのこと」にすぐに気づけたわけではありません。
アルバム『ラヴァーマン』は、タイトルチューン「ラヴァーマン」から始まります。ORIGINAL LOVEにおける「1曲目」の重要性というのは、何枚かアルバムを聴いた人であれば、とても大きいものであることを知っていると思います。1曲目が「シングル」で、かつタイトルチューンというのは、これまでのORIGINAL LOVEのアルバムの中でも初めてのことです。
「ラヴァーマン」に対する田島の思いというものは、今回のインタヴューの中でも折につけ触れられていた話です。それだけの曲を「1曲目」としているアルバムには、否が応でも期待が高まるものです。
「1曲目がタイトルチューン」というと、マーヴィン・ゲイの "What's Going on"が自然と連想されます。
タイトルチューンであり1曲目の'What's Going on' はもともとシングルとして発表され、この曲を元としてアルバム全体が作られました。結果としてソウルミュージックの中でも類まれなる「名盤」が誕生したのです。
このアルバムの2曲目といえば、'What's Happening Brother'という曲でした。「イントロダクション」としての1曲目が終わってこの2曲目が始まると、いよいよこの稀代の名盤の中に踏み込んでいくんだ、というワクワクした感覚になります。
https://www.youtube.com/watch?v=Jb_MCzuFtg8
'What's Happening Brother'はピチカート・ファイヴ時代の「惑星」の元ネタとなった曲で、田島とも因縁浅からぬ曲*1。田島が新譜の2曲目にどういう曲を持ってくるのかということは、アルバムを聴く上での大きなポイントになるだろう、と勝手に期待を高めていました。
ところでその「2曲目」に対して、自分はマーヴィン方向ではない、別の見当をつけていました。それはたぶん、ローリング・ストーンズのような感じで来るのではないかと思っていたのです。ストーンズのアルバムも「1曲目」にアッパーなチューンを持ってくることが多いです。そして「名盤」の誉れ高いアルバムのいくつかは、その「2曲目」にちょっと緩やかな曲を持ってくるというパターンがあります。
具体的には、"Beggars Banquet"の 'Sympathy for the Devil'(悪魔を憐れむ歌)の後に、ブライアン・ジョーンズの乾いたスライドギターが光る'No Expectations'が来るような感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=ONymOaZ-IQ8
だから、シングルとして耳慣れた「ラヴァーマン」の次に、ブルージーな「ビッグサンキュー」のイントロが流れたとき、まさに「キタ!」と思ったのです。
"Stickey Fingers"で 'Brown Sugar' のあとに 'Sway'が来る曲順もとても大好きなので、2曲目にこういう緩い曲が来たというだけでもうハッピーになれたのでした。違和感どころか「名盤確定」くらいの気持ちです。
それにしても'No Expectations'とは田島も渋いなぁ、と最初のうちはのんきに考えていました。
そして「あのこと」に気づくカタルシス
発売から1週間くらい経った頃、アルバムを聴いた人と会話する機会を得ました(ネットではなく対面の会話です)。自分とも趣味の近かったその人は、「2曲目はオーティス・レディングっぽいね」と言ったのです。
自分はストーンズで頭がいっぱいになっていてそのことに気づけずにいたので、「なるほど!」とすぐに同意しましたが、そのときはそれだけ。それ以上に話は発展しませんでした。
けれども、なにか大事なヒントをもらった気がしたのです。家への帰り道でそのことがふと思い出されて、考えてみました。
そして、「ビッグサンキュー」というタイトルを思い出したときに、まさにカタルシスが訪れました。
(ここで溜めます)
オーティス・レディング、と言われたときにすぐに気づくべきでした。
なんのことはない。「ビッグサンキュー」とは、忌野清志郎へのトリビュートだったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=8o58ib6Mmxc
Otis Redding - Try A Little Tenderness
https://www.youtube.com/watch?v=UnPMoAb4y8U
清志郎の2009年5月2日の訃報から、はじめての田島の日記。
http://diary.originallove.lolipop.jp/?eid=434
キングの曲が頭の中でずっと鳴っているよ。キングとすこしだけ一緒に過ごした楽しい思い出が強く蘇っている。キングがオレに話してくれたくだらないかっこいい話で思い出し笑いしたよ。ステージの上で布団を冠って寝ていたキングが、同じ衣装を着ていつまでも寝ていたよ...。あとは言いたくない。そのうち言うかもしれない。
自分が知る限り、田島が清志郎の死について語ったのはこれだけです。
そしてこの「そのうち」が、ついに訪れたのです。
田島はデルタブルースがやりたかったのではなく、清志郎へのトリビュートとしてオーティス・レディング風の曲を作ったのでした。
(清志郎とオーティスの深い関係については、自分がくだくだと書く必要などなく、ちょっと検索すればたくさんの解説が見つかるはずです)
改めて歌詞を読み直してみる
そのつもりで聴いてみれば、この曲の歌詞はまったく不可思議なものではありません。
このまま行くよ / しばらくは会えない / 泣き顔隠したふたり
この「ふたり」は言うまでもなく、清志郎と田島です。田島の一方的な思いなのかもしれませんが、われわれはこのふたりがどれだけ強い絆で結ばれていたかを知ることはできません。知る限りでは、2004年のNHKでの収録が、二人の唯一の共演だからです。
2004/11/11(木) NHK総合「夢・音楽館」第63回 出演
http://originallove.g.hatena.ne.jp/keyillusion/20041111
しかもこの放映では、ほぼ「初対面」だったような印象さえあります(郡山でのRCのライヴを観た思い出を田島が嬉しそうに話していたのを、清志郎が「君だったのか」と茶化すシーンがあった)。
さて、rararapocariさんをして「難関」と言わしめたこの箇所。
さよならの向こう側へ / 旅だったね / きみはぼくからもう自由なのさ
(※「旅だった」はさすがに「旅立った」だと思います)
「きみはぼくからもう自由なのさ」というのは、はたして「ぼく」の独りよがりなのでしょうか?
上でも書いたように、二人の共演はごく限られていたので、田島と清志郎のプライヴェートな関係というのは、われわれ部外者からはわかりません。けれども、もし2004年が初対面だとしても、約5年間は交流の時間があったはずです。「後輩」である田島のことをなにかと気にかけ、かわいがっていた清志郎を想像するのは、それほど難しいことではないでしょう。まさに「優しくしてくれて いつも許してくれて」いた人だったわけです。田島としては「世話になりっぱなし」という思いだったのかもしれません。
それが「さよならの向こう側」という決定的な死の別れによって、「ぼく」が「きみ」に迷惑をかけることがついになくなったのです。つまり、「きみ」が「ぼく」から「自由」になったのです。この歌詞はそのことを"祝福"しているのではないでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=XaKt1nYNhmg
もちろん、以上の「解釈」が絶対唯一なものではないことは、言うまでもありません。お前の妄想である、と片付けてもらっても構いません。なにせ田島がインタヴューなどで、直接言及しているようではないからです(全部チェックしてないので、もしあるのなら教えてください!)。
しかしこれまでの例を考えると、自分からそういうことを語ることはないと思われます。それは「アポトーシス」が、ある男たちへの挽歌であることを、今となっては知る由がないのと同じことです。
マイレヴュー その8『ビッグクランチ』 第3回(全3回)
http://originallove.g.hatena.ne.jp/keyillusion/20070918/myreview
(「ビッグクランチ」ツアーの田島が、この曲で目に涙を浮かべていたのが忘れられないのですが、今回「ビッグサンキュー」でどういう顔をしながら歌っていたのかが観られなかったのは、とても残念でした)
「ポップス」は人生の鏡。聴いた人それぞれが、自分の人生を反映した解釈を自由にできることこそが、かけがえのないことなのだと思います。田島もきっとそういう部分を大切にして曲を作っているのだと思います。
(蛇足)
清志郎との共演の時、「JUMP」をカヴァーしているのですが、「希望のバネ」の「思いきりジャンプしよう」というのは、このオマージュなのかな?(これはかなり妄想)
*1:ただしそのアレンジは小西康陽だったのでしょう
2015/07/26(日)
札幌 SAPPORO MUSIC TENT LIVE
LIVE |
「SAPPORO CITY JAZZ Ezo Groove 2015 SAPPORO MUSIC TENT LIVE」
OPEN 17:30 START 19:00 全指定 ¥5,000
2015/07/27 札幌 SAPPORO MUSIC TENT LIVE
SET LIST |
- ラヴァーマン
- The Best Day of My Life
- スキャンダル
- 朝日のあたる道
- サンシャイン日本海
- クレイジアバウチュ
- 今夜はおやすみ
<田島貴男インフォメーション>by 木暮晋也 - ウィスキーがお好きでしょ
- 月の裏で会いましょう
- 接吻
- フリーライド
- The Rover
- Jumpin' Jack Jive
- 希望のバネ
<アンコール>
2015/05/26(火)
ソウル歌手としての田島貴男
雑感 |
こまめな更新を諦めて気づけば5年。もう、タグの付け方とか「はてな記法」とか、すっかり忘れてしまっています(笑)。リハビリも兼ねて、ゆるゆると綴ります。
ここ最近、『ラヴァーマン』発売を控えて、久しぶりにプロモーション活動が盛んです。

【Amazon.co.jp限定】ラヴァーマン(Amazon.co.jpオリジナル絵柄ステッカー付)
- アーティスト: ORIGINAL LOVE
- 出版社/メーカー: SPACE SHOWER MUSIC
- 発売日: 2015/06/10
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (10件) を見る
このプロモーションの多さは、インディーズ独立以来、最大の規模でしょう。しかし、オフィシャルは相変わらず情報が遅く不完全で、かなり後追いになっています。この「ブログ」の世界は5年前からおとなしくなった印象があるのですが、みなさんは今、どのあたりで情報を集めているんでしょうか? (やはりTwitter?)
まぁそんな、露出が多い中で出演した、NHK「The Covers」でのカヴァー。世良公則の「あんたのバラード」とサザンオールスターズの「いとしのエリー」。
「あんたのバラード」 https://www.youtube.com/watch?v=h6kTvfiJmO4
「いとしのエリー」 http://www.youtube.com/watch?v=dfn6RShEmu0
「いとしのエリー」は、「銀ジャケットの街男」はもちろん、ピチカート時代の「これは恋ではない」にまで遡って、田島とは縁の深い曲。ぜひ、ライヴで聴いてみたいものです。
2曲とも「余計なアレンジをしない」というのが、とても印象的。自分はアレンジャーとしての田島が好きなのですが、こうやって聴くとパフォーマーとしての、あるいは「ソウル歌手」としての田島の魅力が引き立ってすばらしいです。
とくに「いとしのエリー」は、この曲に隠されていたソウルミュージックの要素を、はっきりと浮き彫りにしたという点で感動的です。これはパフォーマーとしての至上の仕事でしょう。
そういえば、前回出演時の山口百恵「プレイバック・パート2」のカヴァーも凄い! こんなにソウル色がある曲とは思いもしなかった(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=nQtdze9PfKE
(やりすぎ感もありますが^^;)
また、フジテレビ「水曜歌謡祭」での、和田アキ子や鈴木雅之との共演も記憶に新しいです。日本の「ソウルフル」を代表するこの両名を"差し置く"ほどの圧倒的な存在感です。
https://www.youtube.com/watch?v=9uo91KZ0u7g
https://www.youtube.com/watch?v=xeeMvmpa6AY
しかし本当に驚くべきは、別のところにあると思います。自分の曲を歌うと、この「ソウル」が消えてしまうのです。
「ラヴァーマン弾き語り」 http://www.youtube.com/watch?v=g04J3_gzcj4
「消える」という言い方よりも、「曲の中に溶けて融和する」と言った方がいいでしょうか。曲調自体は、ネチッコイ歌い方と対極のような爽やかさがあるにもかかわらず、両者がぶつかってもすっかり違和感を感じません。ここには「ポップス職人」としての矜持があるのでしょうか。
まあもっとも、こちらはもう田島の曲を長年聞いているので、彼の曲を自動的に「ポップス」として聞いてしまうせいもあるのでしょうがね。
***
まぁこんな感じで、ニューアルバムの発売を待っています。フライングゲットできそうなので、久しぶりに聴いた感想を書きたいと思っています(が、時間がないのであまり期待しないで)。
FM NORTH WAVE 「GROOVIN’ MODE」出演
RADIO |
http://www.fmnorth.co.jp/pro.asp?PID=713
(簡単な聞き取り)
・昨日の午前から北海道に入った。 ・こっちでもジョギングしてる。 ・今日、札幌観光していた。 ・札幌以外でもツアーして、去年から北海道大好きになった。 ・道東の景色に感動。人柄にも感動。 ・いつか北海道をバイクで走るのが夢。 ♪「ラヴァーマン」オンエア ・リスナーからのメッセージ。 ・アルバムの話。ジャケットに「なぜかスカイツリー」。 ・前作から2年。去年の8月から制作。昔から温存していた曲が多い。 手をかけた「熟成させた」料理のようなアルバム。 ・94年ごろの「オリジナル・ラヴらしい」ころのメンバーと共演した曲が何曲か。 ・他に新しい「ソウルミュージック」もある。トロピカルなサウンドとか。 ・バンドを再結成するようなつもりでやり直すところから始めた。 ・音楽の趣味の拡がりを反映して、「ガンボ」や「カレー」のような いろんなものが混ざったようなアルバム。やっていくうちにそうなっていった。 ・negicco 「サンシャイン日本海」。提供曲だったが、セルフカヴァーして 今や本人たちよりも演奏しているかも。 ・「ドライブに合う」アルバムになった。 ・カフェツアー告知。5会場中4会場売切。残っているのは浜中町だけ。 ・7月のシティジャズも完売。バンドで来るのは久しぶり。 前から「バンドで来てほしい」という声を聞いていたが、やっと実現できた。 お楽しみに。 ♪「クレイジアバウチュ」オンエア
AIR-G’ FM北海道 「MOXY」出演
RADIO |
(簡単な聞き取り)
・北海道の話(さっきと同じ) ・番組で初登場するゲストへの定番質問。 「ミュージシャンになる前、どんな少年でしたか?」を中心とした話。 保育園の時は地味な子供。 小学生のころは転勤が多かった(関東→芦屋→郡山)。 転校先でも友達は割とすぐにできていた。(木暮晋也の話はなし) 音楽は芦屋時代からはじめた。母親のビートルズ好きの影響。 中学からずっと続けていて「厭きる」という時期もあるけれど、 やっぱり音楽が好き。他の道を考えられない。 スタジオよりもライブの方が圧倒的に好き。ずっとライヴやっていたいくらい。 ・新曲「ラヴァーマン」について。 カタカナ表記が正式。 アルバムジャケットで英語になってるのはデザイン的な問題。 アルバム制作のきっかけとなった曲。寝かせていた曲で自信があった。 やっと機が熟した。 アルバムは雑食性のあるソウルミュージック。 バリエーション豊かな内容に。食事で言うならファストフードではなく手をかけた料理。 ♪「クレイジアバウチュ」オンエア ・カフェツアーの話。ニューアルバムからも何曲かやる。 弾き語りの形式でジックリと聞いてもらう。 ・サッポロシティジャズの話。バンドとして久しぶり。 バンドでやってくれと言う声に(さっきと同じ話)。 ・バンドのラインナップは、決まっているけどまだ言えない(笑)。 ・北海道でライヴたくさんやって楽しんでいきたい。
SWEET SWEETいつの間にかライブの後、メディア露出の後はとりあえずTwitterで検索してみるというのが習慣になってしまいましたね。で、ポジティブな反応を探して喜ぶという。
「いとしのエリー」の敬意に溢れたカバー、良かったですよね。keyillusionさんの指摘で気付きましたが、確かにカバー曲と自曲には明確に扱い方の違いがありますね。
あまり言及してる人っていないような気がするんですけれど、桑田佳祐に一番近い音楽家って田島貴男ですよ。日本屈指のメロディメイカーでありながら自らパフォーマンスするロックンローラー、いかがわしいのに人懐っこいエンターテイナー、芸能と技術という意味での芸術を指向するバランス感覚を持ったソングライター。それこそ「ソウル歌手」である点でも一致していますよね。もちろん血肉となった音楽もかぶっているでしょう(田島貴男の場合、雑食かつ大食漢なので守備範囲は桑田佳祐以上でしょうが)。両者共に大衆音楽のプロフェッショナルなんですね。
オリジナルラブとサザン共通のファンってどのくらいいるのか分かりませんが、歌ものの洋楽で育ち、それを日本人としていかに消化して歌い演奏していくのかを突き詰めた時に、このふたりのスタイルが近い表現に落ち着くというのも分かる気がします。
オリジナルラブファンの方でサザンは食わず嫌い(その逆も同様)という方がいたらそれはとても勿体ない。
「ビッグサンキュー」という曲名を見てもしやと思ったのですが、アルバムのダイジェストを試聴して確信しました。この曲は以前2009年頃のライブで演奏された未発表曲「路上」の完成版のようです。歌詞こそやや変わっていますが、メンフィス感溢れるいなたいサウンドは当時聴いたものと同じです。音から言葉から、旅立って行ってしまった人への思いが感じ取れて、田島貴男ならではの見送り方にグッときます。
しかしなにより今回のアルバム先行試聴で一番驚いたのは「フランケンシュタイン」という曲。Curtis Mayfieldばりの黒くタイトなファンクに生まれ変わってはいますが、この曲も「路上」と同時期にライブで披露した未発表曲で、西部警察に影響を受けて作ったと語っていた刑事モノの珍曲「大追跡」でおそらく間違いなさそうです。フルで聴いてみないことには断言出来ませんが、サビのメロディはライブで聴いたものと同じです。
「大追跡」は中盤で裏打ちの展開があったり、ギターを銃に見立てた田島&木暮の銃撃戦コーナーがあったり、だいぶユニークなつくりの曲でしたが、スタイリッシュにお色直ししたようです。
「希望のバネ」もやはり同時期のライブで演奏していました。つまり「ラヴァーマン」というアルバムの幾つかの曲は、原型自体はだいぶ前に出来上がっていて、Daft Punkの例のアルバム以降の生音歌ものが見直されている今、満を持してのリリースとなったようです。
2009年頃といえば田島貴男がハーレーにどハマりしていた頃。ああ確かに、移り変わる景色を楽しみながら大地に近いポジションで走っていると生まれる曲というのは、こんなメロディでこんな言葉でこんなBPMになるのかもしれないなと納得がいきます。
タンデムでハーレーに跨がる背景に今の日本の街が写り込んでいるというジャケットのデザインも示唆に富んでいて、腑に落ちます。
「夜をぶっとばせ」の生き急ぐようなスピード感とはまた違う、シートの後ろの誰かを気にかけ時折笑いかけているような包容力のあるドライブミュージックがアルバム「ラヴァーマン」なのかなという印象です。
世の中には「『悪魔を憐れむ歌』のアルバム」であるとか「『ワイルドサイドを歩け』のアルバム」と呼ばれるような(呼びたくなるような)名盤があります。
「この1曲だけでOK」というほどの求心力を持った曲が主役の、‘隙のない完成度’であるとか‘コンセプトアルバム’云々を軽々と越えてくるという類いの、愛すべき名盤です(考えてみれば「10ナンバーズ・からっと」は「『いとしのエリー』のアルバム」といってもいいのかもしれないです)。
アルバム「ラヴァーマン」はその括りで言えば全編通して聴く前からすでに名盤確定です。
もっともアルバムに収録された曲はどれも、主役のお膳立てというには粒揃いの名曲だらけの予感がしますが、そのままアルバムタイトルに冠するほどの自信作であるこの表題曲がアルバムの顔として、そして「接吻」のように日本のポップシーンに愛される「有名な曲」として独り立ちしていけばいいなと思います。
毎度長々とすみません。素晴らしいブログの内容に添うコメントではないかもしれませんが、keyillusionさんに聞いてほしかったことを粗方ぶちまけたので、おかげ様で自己満足だけはしています(笑)。またこちらのブログを通して様々な知らないことを教えていただければと思います。フラゲ羨ましいなあ。
keyillusionSWEET SWEETさん、お久しぶりです。
ラジオで「寝かせていた曲が多い」と言っていたのは、そういうことだったんですね。驚きました。『白熱』前のライヴはまったく観られなかったので。
興味あるネタ満載で、一つ一つフォローしたいんですが、とりあえずラジオの聞き取りアップでご容赦ください。
ダイジェストは、まだ聴いていないです。できるだけ、レビュー頑張ってみます。
あ、ネタバレになるから、あわててアップしなくてもいいのか。^^;
keyillusionひとつだけどうしても。
特にEMI時代には「1曲目にインパクトがある」と言われていたオリジナル・ラブで、『ベガーズ・バンケット』のようなスタイルのアルバムは、実は初めてなんですね。聴きどころのポイントが搾れたような気がしてます。
SWEET SWEETお久しぶりです。
keyillusionさんがせっかくまっさらな状態でアルバムを楽しもうかというところに水を差してしまいました。気が付きませんで、申し訳ありませんでした。いつもお付き合いいただきありがとうございます!
関東のFMではまだプロモーションがほとんどない状態なので、最新アルバムに関する話題の書き起こしはとてもありがたいです。
表題曲を1曲目に持ってくるアルバムって実は初めてですね。「Brown Sugar」や「What's Going On」など往年の名盤をどうしても思い浮かべてしまいますが、気持ちをフラットにして発売を待ちたいと思います。ちなみにkeyillusionさんのレビューは発売前発売後いつであろうと読んでみたいです。
keyillusion一般発売までされてしまいました。
相当聴きこんでいます。それだけに書きたいことも多すぎて、まだまとまりがつきません。
もう少しお待ちください。プライベートも忙しく、最悪の場合来月以降になりそうですが。
本人は嫌だったんだろうなー。今、思うと。
もう自由なのさ。
自分は忌野清志郎自体に思い入れがあまりないので、全くの想定外からの指摘でしたが、ストーンズや、オーティスレディングの話と絡められると、非常に納得しやすい解釈だと思いました。確かに、まさに「ビッグ」な感じの曲調からすれば、歌われる対象はドラえもんやのび太ではなく(笑)、大物であるとした方が理解出来ます。
ただ、やはり「公園の芝生に 青いシートを」の部分など、歌詞の意味をそのままとると、相手が清志郎ではしっくり来ない部分があります。
また、それほど大物への歌であれば、やはり2曲目という中途半端な曲順がよくわかりません。アポトーシスのような曲順であれば分かりますが。
とはいえ、聴いた人それぞれが、自分の人生を反映した解釈を自由にできることが重要という指摘には同意できます。この曲に限っては、想像力を働かせるのも結構難しいですが(笑)
どうもありがとうございます。亡き宮田さんのそのエピソードを引き出せただけでも、この駄文を書いた意味がありました。
清志郎で頭がいっぱいになって、他の自由な解釈ができませんでした。なんだか「不自由」な話です。
まだインタビューをぜんぶ読んでいないのですが、とくにご指摘がなかったということは、やはり田島が特にこのことに言及していないらしいことはわかりました。
「公園の芝生」というのは、清志郎だとすればフィクション的な風景なのだと思います。「青いシート」が「青空」(なにも不安要素のない日常の象徴)との対比なのでしょうが、イメージ的な描写以上の意味はあまり感じられません。ただしこの曲が、「夜の宙返り」の続編なのだとすると、また解釈が変わってきそうです。
「2曲目という曲順」は、そこは「ノー・エクスペクテーション」へのオマージュということで、自分の中では違和感がないのですが(笑)、「3部構成」という聴き方をすればこの位置以外が逆に思いつきません。そのあたりは、全曲レビューの時に考察してみます。
http://www.nhk.or.jp/kamado/story/index50.html
自分は「失恋ソング」と解釈して聴いていたのです。悲しみのあまり「ジンジャーエールこんな味だったっけな」と思う、切ない曲なんだと。
ところが、そのジンジャーエールの味の違和感は、実は「単なる実体験」。作詞しようと決めて、久々にジンジャーエールを買って飲んだら、辛口だと思っていたのに甘くてまずい、と。ただそれだけ。もっとなにかエピソードがあるのだと思っていただけに、それを知ってかなりの衝撃でした。
まぁでも、こういう「勘違い」こそがポップスの醍醐味であり普遍性なんだよな、と思ったのでした。
オーティス・レディングを思わせるブルージーな音作りは言うまでもなく(オーティスを敬愛する清志郎はメンフィス名誉市民)、歌詞の端々に清志郎を連想せざるを得ない「ヒント」がちりばめられていますし、明言はしないまでも清志郎への思いをかたちにしたかった田島貴男の感謝の念が、ユーモアを湛えた作風から伝わって来ます。
もちろん田島の目指すポップスとは、個人的な出来事をそのまま曲にして自らを慰めるような狭いものであるはずもなく、特定の人物との思い出のようなものを内包しながら、生きていれば誰もが経験する、大切な人と離ればなれになるという痛みを、普遍的なラブソングのかたちをとって表現したかったのでしょう。
シンプルなラブソングとして聴くことも出来るし、解釈は聴き手の数だけあるべきだと考えているからこそ、あえて田島は清志郎のきの字も出さないのでしょう。
物語の小道具として「青いシート」が登場しますが、ここで大切なのはふたりの関係性であり、木を見るのではなく森に目を向けることが、田島が言うところの「ポップスの持つ謎やミステリー」を読み解く手がかりなのだと思います。おそらく意味や整合性で答えが見つかる代物ではなく、聴く側が自分自身の経験した喜びや痛みを探った時に初めてカタルシスを伴って迫ってくるのが田島貴男の書く歌詞であり、当てる光の角度を変えると全く異なる姿を現す多面的な構造を、確信的に作り上げているのだと思います。
個人的にはこの別れをして「しばらくは会えない」「泣き顔隠したふたり」という表現は作詞家としてのちょっとしたひとつの到達点ではないかなと感動しています。
田島がアルバム「ラヴァーマン」を通して伝えたかったものを一言で端的に表すとすれば「99粒の涙」の一節「変わった夢もある/変わらない気持ちも」ということになるのでしょうか。過ぎていく時間を音楽で表現する上で、「死」というテーマは身近にある実感として、どうしても歌う必要があったのだと思います。
keyillusionさんの仰るように、キャッチーな1曲目から緩やかな2曲目に繋がる流れは極めてストーンズ的であり、自分はすんなり受け入れることができました。「ビッグサンキュー」はともすれば大仰な印象になりがちなテーマの曲なので、あえてアルバムの前半にさらりと配置して全体のバランスをとったのではないでしょうか。
こちらの記事のきっかけとなったrararapocariさんのブログ(素晴らしい3本立て!)と合わせて、とても楽しく読ませていただきました。
「ラヴァーマン」に関するインタビュー記事や感想を綴ったブログなどは読み応えのあるものばかりで、やはり聴いた人それぞれが、何か語らずにはいられない魅力に溢れた強いアルバムであることの証明なのだと思います。